2004年11月09日

■バタバタ4年目(2)

バタバタ4年目の続きです。

・・・・・

空港に到着したのは夕方5時頃だっただろうか。何しろ一大事だと聞いていたので、私以下4名はその日からの徹夜を覚悟して現場へ向った。

現場は、このプロジェクトの為に特別に作られたプレハブ住宅だ。その中に、テスト用の汎用コンピュータ、プリンタ等が設置されている。

私達はその建物に入り、プロジェクトルームの扉を開けた。するとそこには人・人・人、人込みであった。

それは、会社の大ピンチ−という事で、全国の部署にヘルプ命令が下った結果である事が判明した。毎日のように5、6人の単位でヘルプ要員が送り込まれて来ているとのこと。どうやら我々は後発であったらしい。

恐らくほとんど皆が同じ会社の人間なのだが、知った顔もいない。大阪の部署からの援軍が多かったのかもしれない。

それにしても、すごい人の数だった。良く見ていくと、元気な顔をしている方々と、目が据わり、生きた屍状態となっている一部の方々がいた。多分、後者の方々が早くからこのプロジェクトに参加している方々であろう。既に精気を失い、人を寄せ付けない凄みを感じた。怖かった。

さて、気を取り直し、「我々も力にならなくては」−という事で、出発前に言われたように○○副部長に指示を仰ぐべく、人込みの中を「○○副部長はどちらでしょうか」と聞いて回った。

そして数分後、やっとの事で、副部長に対面し、「東京の○○事業部から来た者です。何をお助けすれば宜しいでしょうか」と判断を仰いだが、「ちょっと待っていてくれる?」と30分程待機。

そして、次の指示は、「今日はこのままビジネスホテルに泊まってくれる?」だった。

なんとも拍子抜けした。

確かに、毎日のように人を送り込まれたのでは、それを受け止めるマネージャもたまったものではないだろう。会社と現場の意思の疎通の不一致を微妙に感じた。

ただ、必要か否かは別として、次々とヘルプ要員を送り込む事で発注先に誠意を示していた事になるのかとも思った。(しかしあくまでシステムを正常にカットオーバーさせる事が唯一無二の誠意であるのだが)

・・・・・

その日はビジネスホテルに向い、少々のアルコールを入れて寝た。
「恐らく明日からは大変だ。」

・・・・・

翌日、朝9時、現場へ向った時にはまだほとんど人影はなかった。どうも完全徹夜になってるわけではなさそうだ。

狭いプロジェクトルームの中、立ち尽くしたまま、副部長の到着と指示を待った。
座席はあるのだが、恐らく決められたレギュラーメンバーのものだ。勝手に座ることも出来ない。何をして良いかもわからず呆然と立ち尽くしたままであった。

30分、1時間程たつと次々にメンバーが出勤してきた。やはり幽霊状態の人も多い。そして見る見るうちに席は埋まった。やはり我々の座る場所はない。

副部長が到着したが、どうも我々の扱いに手を焼いているようであった。システムの内容もわからず、また、経験した事のないメーカーの環境だ。即戦力として働かせるのが難しい事は理解出来る。だが、それにしても指示が出ない。気が付くと既に昼ごろであった。

そしてついに仕事の指示が出る。「君たち立ちっ放しではつらいだろう。廃棄リストを段ボールにでも詰めて座ってなさい。」....なんと「椅子作り」が最初の仕事だった。

「わかりました!」
不思議なものだ。プチ断食の後の食事でやたら食物の味を感じられ、食べられる事の幸せを感じるように、こんな指示・仕事でも、やることが出来た事の喜びの方が大きかった。
すかさず廃棄リストと段ボール、ガムテープを用意した。廃棄リストを箱詰めし、それを2段重ねてガムテープで止める。これで立派な椅子の出来上がりだ。

「探せばやれる事はある。」
これをきっかけに、同じ境遇にある方々の椅子を「ほいきた!」とばかりに作ったり、バラバラグチャグチャになっているマニュアル類・キャビネの整理整頓をしていった。
コンピュータに触る仕事とはおよそかけ離れていたが、何故か不満も何もなく、むしろこの状況を楽しめた。今だからそう思えるのかもしれないが。

そして夕刻。ようやくそれっぽい仕事が来る。
目の前のCOBOLのコンパイルリストがドサっと積まれた。高さ2〜30センチ程であろうか。そして1本のラインマーカ。

「Display命令を使っている箇所全てをマークしてくれ。これらはデバッグ用なので、最終的には削除しなければならない。そして、削除した時にロジックが変わってしまうような箇所があったらチェックして欲しい。」

単純作業であったが、朝から比べると比べ物にならない程、仕事っぽかった。
次々とプログラムリストのページを捲りながら、該当箇所をマークしていった。

プロジェクトメンバー同様、機械もかなり消耗していたようだ。5分も作業すると手はインクで真っ黒、プリンタも相当オーバーヒートしている。インクが散って見えない箇所もあった。また、こんな状態なのでラインマーカも長くは持たない。近くのコンビニに2回程は追加で買っただろうか。

数時間後、渡されたものは全て終了したので、再び副部長に次なる指示のお伺い。
「あっ、今日はもう良いよ。」
まだ、午後8時頃だったか。徹夜を覚悟に乗り込んでいるので、またまた拍子抜けした。
「ではまた明日9時に来ます。」

・・・・・

3日目。
またコンパイルリストのマーカー作業が始まった。
「即戦力には到底なれないから、こうやって少しずつ慣れていくしかないな。」と自分に言い聞かせ、黙々とこなしていった。

ところが昼に事態は動く。

「君たち良くやってくれてね。これでもう東京に戻ってくれて構わないよ。○○部長の方には僕の方から話しておくから。」

「・・・なんだったんだ。この3日間。。。」

・・・・・

前述のように、プロジェクトの大ピンチでお客様に誠意を見せる動きの一環であったと思う。だが、もう少し現場のマネジメントと会社が連携して動けば、余計な神経を使う必要もなく、もっと効率よくプロジェクト修復への道も描けたであろう。

その後このプロジェクトがどうなったのかは、聞いていない。

ただ、自分にとってとても貴重な体験であったのは間違いの無いところだ。

シグマクレスト
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sigma1126 at 16:00│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
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よろしくお願いします
土の香りのソフト屋さん
高橋和美

1984年 銀行系シンクタンク入社
その後、中小ソフトハウスにて経験を積ませて頂き、
2001年9月10日、螢轡哀泪レストを東京五反田に設立

当初6名で始めた会社も、徐々に体制が大きくなり、目下数々の壁に体当たり中。

夢は、第一線を退いても自分の居場所となる憩いのエリアを設立すること。

一人の成功は望まない。
仲間との成功分かち合いを好む。
年に一度はビールかけをするような元気で暖かい仲間・集団、そしてそれを周囲に伝染させていきたい。
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