2004年10月30日

7人目の仲間

昨日、急に決まったのだが、酒類メーカー様の仕事の都合で、工場のある藤沢で打ち合わせをした。本番直前の最終テスト及び本番に向けての準備に関する打ち合わせだ。

19時半頃、まだ打ち合わせが佳境な状況の時、携帯が鳴った。
「○○のMだけどNさんいる?」
飲料メーカーのお客様が会社にかけてきた電話が転送されて私の携帯が鳴ったのだった。

「どうしてもNさんと連絡とりたいんだけど...」
どうやら緊急を要する内容らしい。「かしこまりました。連絡をとりますのでしばらくお待ち下さい。」

既に金曜日のいい時間帯だ。甘いと思われるかもしれないが、そういう時間帯に緊急要件の連絡をかわいい社員にするのは大分気がひけたが、やはり大事なお客様。雑念を振り切ってN君に電話をした。

「もしもし、高橋ですが...」
「お疲れ様です。Nです。」
「今、どこにいる?」
「ちょうど会社を出て電車で帰る途中です。」

さらに気が重くなった。

「・・・というわけで、Mさんに連絡をとってみてくれる?」
「わかりました。これから電話してみます。」

何があったのか心配だ。

・・・・・

彼は2年前の9月に入社した。

会社設立ちょうど1年経った頃だ。社員数は私を含め、まだ会社設立時と同じ6名の頃であった。採用にお金をかけられず、ハローワークに何度か募集を出したが、あまり応募がない。また、応募はあっても、言い方は悪いが箸にも棒にもひっかからない。

「やはり全く無名の新参者の会社が、金もかけずの採用は出来ないのか...」
設立時ダッシュで会社を大きくしていく構想に陰りが見えたそんな8月の終わりに、彼はヤングハローワーク経由で応募してきてくれた。

新卒ではない。また、この業界に関する仕事は未経験。これまでは百貨店や、コーヒーショップなどでの接客業を行いながら生活をしていたという。なるほどひとつひとつの応対は素晴らしいものがあった。

だが、まだ未経験者を採用して、0から指導して1人前に育てる環境は会社にはなかった。
また、創立時の6名に初めて新しい血を注ぐ事になる採用活動だ。慎重にならざるを得ない。6名での合否決定の話し合いにも時間をかけた。

結果、「彼に賭けて見る」決断をした。
この仕事のスキルは判断する事は出来なかったが、やりたい気持ち・向上心が彼の身体から滲み出ていた。人との応対に、将来、第一線でお客様とどんどんやりとりして仕事をする彼の姿を連想する事が出来た。これらが決め手だ。

さて、彼を迎え入れる準備をしないといけない。しかし、教育スタッフは皆無だ。付け焼刃的ではあったが、私が自分で、アルゴリズムのテキストを作成し、一方ではAccessやExcelマクロの外部研修に申し込みを行い、さらに通信教育を申し込んだ。これが当時彼にしてあげられる最大限の準備であった。

そして入社。

社会人としての生業についての実施教育。これは会社にその道の専門スタッフが居り、また、彼自身の接客業の経験が効き、比較的にスムーズに進められた。
一方、技術的な部分に於いては、アルゴリズムの教育から始め、それをVBAで書いていく練習をした。そしてRDB、SQLの学習。少ない時間で充分であったとは言えない。だが何とか時間をやりくりして私が彼にじかに接していた。

そして...

彼の向上心はやはり並ではなかった。覚えた事をどんどんメモに手書きして記録していく−という勉強方法、これは別に指導したものではない。日に日に学習内容がメモの山になっていく様子に、ひとかたならぬ彼の気合を感じた。教育スタッフ側の非力さを、彼の積極的かつハングリーな気持ちと動きが完全に覆い隠してしまった。

「未経験でも採用していただいた。早く一人前になってご恩返しをしたいんです。」

2ヶ月程度で、あっと言う間に新人プログラマのスタンバイOKとなった。

仕事の本番デビュー戦。通常は、「失敗してもやむなし」を覚悟に最終的には先輩が全てひきとってやり直す気持ちで仕事を新人に渡すものだ。だが、体制に余裕の無いこともあったが、彼は確実に既に「戦力」であった。

それを皮切りに彼は次々とプラグラマへの腕を上げていった。
翌年の8月、入社して1年弱の頃、既に先輩SEの居る現場に迎え入れた。彼の才能は、お客様と触れ合う事で一気に開花すると踏んでの作戦だ。当初は、引き続きプログラミングのテーマやSE補助的な作業を従事してもらっていた。

しばらくして、初冬の時期、チャンスが巡ってきた。小さい仕事ではあるが、お客様と直に触れる事が出来る仕事だ。

そして彼は、私の期待に見事応える事となる。いや、期待に応えるというのはやや語弊がある。彼が自らの力で扉を開けたのだ。

最初のテーマをこなした後、引き続き仕事を出していただける状況を彼は作り出した。こうなると極端な言い方であるが、このお客様はもう彼のもの。たとえ会社が傾こうとも、しばらくは彼が職を失う事はない。

「Nさんはまだ経験1年ちょっとなんですってね。すごい成長ぶりですね。あんな1、2年目はそうそうお目にかかれません。」
ある時、私がお客様から直接伺った言葉だ。多分、リップサービスではない。

冬から春、そして夏。どんどん彼はお客様には無くてはならない存在となっていった。

・・・・・

23時を越えただろうか。彼から報告が入った。
「原価計算関連業務の問い合わせでした。一度帰りかけて戻るのはきつかったですが大丈夫です。高橋さんも遅くまでお疲れ様でした。」

あくまで仕事に貪欲かつ謙虚だ。

「ありがとう。お疲れ様。気をつけて。」

こんな言葉しかかけてあげられなかった。

彼は確実に「土の香り」の仲間。大地から芽を出し成長する命にふんだんの水と光を注いであげなければならない。それは私の仕事である。再確認させていただいた。

土の香りのする仕事を致します
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この記事へのコメント

1. Posted by masaito83   2004年10月30日 14:38
素晴らしい仲間がいるという事は、周りの方の人柄も見えて
来る様な気がしました。

私が思うには、どんなに一人だけ素晴らしい行動を起こそうと
しても、周りに腐った考えしかなければ、素晴らしいから
普通になってしまうのが、会社を含む集団心理だと思っています。

彼の成長が早いのは、彼の努力によるところも多分にあるの
でしょうが、在籍するスタッフの全員が同じ様に努力している
からなのでしょう。
そう私は思います。

今後、私の会社が発展して、専用のプログラムが必要になったら
そのような方々が働いている会社に依頼したいと感じました。

そして、私も前向きな考え方の出来るスタッフを採用できる
環境を作るべく、安定的な売り上げの向上と自己の人間的な
魅力を磨くために、努力して行きたいと思います。

良いお話を読ませて頂き、有り難うございました。

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よろしくお願いします
土の香りのソフト屋さん
高橋和美

1984年 銀行系シンクタンク入社
その後、中小ソフトハウスにて経験を積ませて頂き、
2001年9月10日、螢轡哀泪レストを東京五反田に設立

当初6名で始めた会社も、徐々に体制が大きくなり、目下数々の壁に体当たり中。

夢は、第一線を退いても自分の居場所となる憩いのエリアを設立すること。

一人の成功は望まない。
仲間との成功分かち合いを好む。
年に一度はビールかけをするような元気で暖かい仲間・集団、そしてそれを周囲に伝染させていきたい。
月別