2004年10月25日

どろどろ3年目(1)

1986年の2〜3月、間もなく社会人丸2年経過し、3年目に突入となる。

大手総合食品メーカー様の「販売情報検索システム」の本番稼動まで、既に1ヶ月前後の状況の中、私が担当していたバッチのJOB設計に重大な欠陥が発覚した。

あろう事か、このJOB設計は、データ件数・ディスク使用量・処理時間等、ほぼ考慮されていないものだったのだ。

自分で気付かず、また、周囲から指導を賜らるチャンスがなかったとは言え、お粗末なものだった。

その時から、昼夜を問わず汗をかき続ける事となる。

件数・ディスク使用量・処理時間等の見積りを行った上で、JOBの見直しを行った。

ネックとなったのはソートの処理。

1回のソート処理に於いて使用出来るディスク量については、標準である程度定められていたが、この標準に従うと、最大ファイルを20〜30分割した上で、こまめにソート処理を行わなければならなかった。

ここまでソートの工程は単純に1工程と考えていたので、これは堪えた。

ファイル分割の為の処理を作成し、JOBを追加すると共に、ソートJOBの分割、そしてソート後の複数ファイルをひとつのファイルに纏める処理の作成とJOBの追加。

JOBスケジューラーへの登録申請をぎりぎり済まし、最終運用テストに滑り込んだ。

最終運用テストでは、0件の入力データよりテストをする。

スケジューラへの登録申請やJCLに記述ミスが無い事を確認するテストである。何箇所かでABEND(Abnormal End : 異常終了)し、運用チームに呼び出されたが、まだ本番ではないので気は楽であった。

不具合箇所は速やかに修正し、テストを終えた。

・・・・・

1986年4月。物流システムを先頭に、次々と再構築プロジェクトが動き始める。

そして、私達の出番もいやおうなしにやってきた。

まずは、データベースの初期セットアップを行う為、月次処理から始まった。

思ったより時間がかかったが、データの初期設定という事で、昼間の時間も使えたので、それ程問題とはならなかった。(この月次処理がまた次の新たな火種となる)

そして翌日、オンライン検索機能のオープン。

問合せは随時発生したが、都度対応していった。

夜、今日から日次バッチ処理もスタートだ。
本番稼動当初は、現場で待機して欲しいという要望を受けた。
もちろん、私自身も、無事稼動を確認しなければ気が済まない。ここから数日間は昼夜逆転(徹夜含む)状態となった。

このシステムは、各システムから入力されたデータを加工し、検索用データベースを構築するもの。従って、バッチ処理の順序も、他のシステムの後であり、処理系では一番最後であった。(これが終了するとマスターの更新処理と夜間バックアップを残すのみ)

こちらにデータを渡す側の処理がトラブルとなり、なかなか始まらなかったり、こちらの不具合でストップさせてしまったこともあった。

その都度、不具合部分を修正し、本番移行申請等をお願いした。時には、ルールを越えた対応をいただいた運用(オペレータ)チームの方々には今でも頭が上がらない。

今を思えば、再構築システム立ち上がりのこの状況の中で、運用を担当されていた方々のご苦労と気合、そして気転の利かせ具合は並大抵のものではなかったと思う。

そんな1週間余りを何とか持ち応え、徐々に落ち着いていった。夜中の問い合わせはちょこちょこ入るものの、何とか運用にのってきたようだった。

そして、5月の月次処理を迎える事となる。
水面下で、もうひとつの爆弾の導火線がジリジリと音を立てていた。

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よろしくお願いします
土の香りのソフト屋さん
高橋和美

1984年 銀行系シンクタンク入社
その後、中小ソフトハウスにて経験を積ませて頂き、
2001年9月10日、螢轡哀泪レストを東京五反田に設立

当初6名で始めた会社も、徐々に体制が大きくなり、目下数々の壁に体当たり中。

夢は、第一線を退いても自分の居場所となる憩いのエリアを設立すること。

一人の成功は望まない。
仲間との成功分かち合いを好む。
年に一度はビールかけをするような元気で暖かい仲間・集団、そしてそれを周囲に伝染させていきたい。
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