2004年10月20日

ヤンキースのようになりたい!〜1.私と巨人〜

話はまず、ヤンキースとは離れているが、

私の父はまさしく、「巨人・大鵬・玉子焼き」であった。特に「巨人」。

紳士服の仕立業を営んでおり、サラリーマン家庭とは違い、ほぼ常に家に居た。
夕方になるとラジオの電源が入る。
巨人戦ナイターの放送だ。
しかも試合開始前の前振り番組での情報収集。予習も怠らない。

試合開始してしばらくすると、夕飯の時刻。
晩酌をしながらTVを観るが、まだラジオの音は消えぬままだ。
目はTVで耳はラジオの状態。

当時の野球中継は19時半か20時始まりであった。

巨人が勝っていると晩酌はしばらく続く。
上機嫌でおかげさまで食卓も明るい。

だが、負けていると大変だ。
僅差の時は微妙であるが、敗色濃厚の場合、TVもラジオも消され、さっさと飲み食いして仕事に戻る。
家庭は凍りついたように静寂に包まれ、誰一人口を利かない。
逆転負けを喰らおうものならなおのこと。

家が広ければ良いのだが、借家住まいで狭い中だ。
逃げ場がない。
父以外の家族3人は否応なく巨人に頑張ってもらうしかなかった。

ここまで極端かどうか別として、当時こんな家庭は少なくなかっただろう。

ただ、亡き父の名誉の為でもないが、全てがこの例に代表するような傲慢な人ではなかった。
決して裕福ではない中、良く育ててもらったと感謝し尊敬もしている。何より父の事が好きだったのだと思う。

その証拠に、素直な事に私もしっかり巨人ファンとなってしまった。
(恐らく高橋一三という字は違えど同じ名前の投手がいたこと。また、星飛雄馬の影響も多分にあるのだが...)

・・・・

巨人が好き−と言っても、やはり必ず誰か好きな選手を中心に見ていた。
長島−王−(やや空白)−原−と2、30年の長きに渡り、普通以上の熱の入れようで巨人応援をしてきた。V9以降も、阪急ブレーブスや西武ライオンズとの死闘は忘れられない。ちなみに江川や西本も好きだった。

しかし、徐々に巨人は常勝ではなくなり、そして原がピークを過ぎた頃、巨人への熱も冷めかかってきた。
恐らく、金に物を言わせる金権体質も気が削がれる要因ではあったが。

「もう巨人はいいや。」

ところが、そんな頃、新たに魅力的な選手が登場した。
松井秀喜。
長島監督が見事にひき当てた。

「面白そうだからもう少しファンでいよう。」となった。

人気ブログ一覧

sigma1126 at 07:29│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
▼その他日々の思いなど 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
月別