2004年10月14日

大切な2年目だった(1)

この社会人2年目がなければ、今の自分はなかったように思う。

1年目にCOBOLやPL/Iでプログラムを製造しまくった。ある程度はプログラマとして過ごしていく自信は出来たと思う。ここから先が、プロジェクトというものを体験していく道のりであった。

まずは、外資系の損害保険会社のプロジェクト参加指令が下った。

場所は麹町。事故発生時に受付をする「クレームオンラインシステム」の構築要員であった。

先発隊で既に現場で汗を流していた協力会社の方々から指示を受けてプログラム仕様書を起こすのがまず自分の仕事であった。

HIPO技法による細かい仕様書作りには大変苦労した。

当時はまだ紙と鉛筆の世界。ほぼプログラムステップ対応の仕様書であった為、紙にして100枚を超えるものがザラにあった。

仕様の理解もあるが、CICSを理解出来ていなかった為、何度も何度も書き直した。

そしてようやくレビュー通過した仕様書を元にまた別のプログラマに製造してもらう。

もちろん、プログラマからの質問に対しての返事や、仕様バグなどの発生によるスケジュール調整などの経験、また、あがってきたプログラムを検証し、問題があればまた差し帰す等のやりとりも発生した。

このようにして、まだまだ単位は小さいのだが、SE・マネージャの真似事はさせてもらった。

ただ、いかんせん、まだまだマネージャとして、設計者として、完全におまめの状態であった為、あるフェーズを終了したところで、プロジェクトからリリースされた。正直、その後このプロジェクトがどのように推移したのかはわかっていない。(まだまだシステムそのものについては無責任であったという事だ)

そして、次のプロジェクト。

このプロジェクトに参画したおかげで、今の自分がある。間違いない。

(続く)

教育事業も行っています。
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▼SEとしての道のり 

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よろしくお願いします
土の香りのソフト屋さん
高橋和美

1984年 銀行系シンクタンク入社
その後、中小ソフトハウスにて経験を積ませて頂き、
2001年9月10日、螢轡哀泪レストを東京五反田に設立

当初6名で始めた会社も、徐々に体制が大きくなり、目下数々の壁に体当たり中。

夢は、第一線を退いても自分の居場所となる憩いのエリアを設立すること。

一人の成功は望まない。
仲間との成功分かち合いを好む。
年に一度はビールかけをするような元気で暖かい仲間・集団、そしてそれを周囲に伝染させていきたい。
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