2004年10月11日

プログラマ時代の1年目

1984年8月。研修明けでいきなり人事異動を受けた。配属された部署は、ソフトウェア受託開発を生業とする所だった。

記憶が定かではないが、当時部員は20名弱だったと思う。ところが、席に案内されると、部長を含め、3〜4名しか座っていない。それも営業・庶務の方。いったいどうしたものかと思って行動予定表のホワイトボードを見た。すると、「国立」とか「和光」などと記入されている。

「そうか、この部署は、ほとんど出向もどきの業務専門部なんだ。」と初めて気がついた。やや物悲しい気分になったのを覚えている。

しかしながら、結局1年弱はそのまま社内で業務をこなす事となる。現場の社員(協力会社)のSEが設計したものを社内でプログラミングして報告する繰り返しだった。

・クレジット会社(IBM、COBOL、バッチ)
・タイヤ製造会社(IBM、PL/I、オンライン、バッチ、IMS)
・車製造会社(IBM、COBOL、バッチ)
・損害保険会社(IBM、COBOL、バッチ)

くる仕事の分量には山谷が激しく発生した。従って、かなり暇で時間に余裕の出来るときがあった。そんな時はIBM関連のマニュアルを隅からすみまで読み漁った。「今この一瞬を無駄に出来ない」気持ちに支えられた。

そんななかで、1度だけギブアップした業務があった。車製造会社の仕事で、現場に呼ばれた。オンラインプログラムの改修作業だ。今思えば、プロジェクトはお祭り状態だった筈だ。新人の駆け出しを現場にヘルプしなければならなかったのだから。

プログラムのコンパイルリストは5cm程もあった。見ると、CICSやADABASのコマンドを発行してるなど、当時まだ知識のない言葉が満載。1日じっくりと見たが、どうにもこうにも手も足も出なかった。「このままでは力になれない。」と上司に相談、結局会社に戻された。

そんなこんなで1年目の時が流れていった。

シグマクレスト
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▼SEとしての道のり 

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よろしくお願いします
土の香りのソフト屋さん
高橋和美

1984年 銀行系シンクタンク入社
その後、中小ソフトハウスにて経験を積ませて頂き、
2001年9月10日、螢轡哀泪レストを東京五反田に設立

当初6名で始めた会社も、徐々に体制が大きくなり、目下数々の壁に体当たり中。

夢は、第一線を退いても自分の居場所となる憩いのエリアを設立すること。

一人の成功は望まない。
仲間との成功分かち合いを好む。
年に一度はビールかけをするような元気で暖かい仲間・集団、そしてそれを周囲に伝染させていきたい。
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