2015年04月21日

■粘り抜く

DSC_0401春の嵐。遭遇する時間帯もあるのだろうが、自分が仕事場を後にした時はかなり雨風が激しく、望まぬ春の嵐の満喫となってしまった。

それにしても、先日触れたように、今年の春は現在のところ日照時間がかなり短い−を実感するこのところの陽気だ。だからこそ、さわやかな春の鮮やかな日射しのありがたみがよくわかる。特に今日のような梅雨を彷彿とさせる重たい空気の中ではなおさらだ。

こんな時は、「ふぅ。。」とため息をついたり、心のネガティブスイッチが入りやすく、ネガティブ発信をしてしまいがちになるもの。なんとか、「粘り」の気持ちをもって、明るく過ごしていきたいと思う。


・・・・・

会社の仲間と触れあってる時や、家族と話し合っている時もそうなのだが、どうしても必要な心がけ。それは言わば「粘りのコミュニケーション」だ。

誰かに「こう動いて欲しい」・「このように考えてほしい」と思って、それを伝える機会は数多い。自分としては、「いかに伝えたらわかってもらえるだろうか」を時に熟考し準備の上その場に臨む。そして望むべきを伝え、相手からも高反応を得る。「伝えきった」という達成感。ところが、それもつかの間、その直後から、「こないだ言った事、わかっているのかな・・」と感じてしまう事も多々あったりする。

「何故わかってくれない?」を、今度は自分に問いかける。するとやがて、「相手は変えられない。変われるのは自分」という事を思い出す。確かに、自分の言葉で瞬時に相手を変える事はほぼ不可能かもしれない。だが、どうしても変わってもらわないと困る。ではどうしたら良い?そうだ、自分がやり方を変えればいいんだ。こうして、手を変え品を変え、ヒット&アウェイを工夫しながら再度アタックする。

こんな事を数度繰り返していくと、やがて自分でも気付かぬうちに、一種の疲労感を覚えるもの。誰かに愚痴の一つも垂れ流したくなる状況が自分にやってくる。そう、問題は、このフェーズをどうやって乗り越えるかにある。

実はかなり昔、自分の社会人最初の尊敬する上司が、何かの折に、直属の部下である方と会話をしているのを小耳にはさんだ事がある。

「XXXさん。あの人のこと、いつまで我慢して使い続けるんですか?」
「ずっとだよ。」

この短い言葉の中に詰まった、責任と覚悟と情熱。これがひとつのヒントなのだろう。仲間や家族、そういう関係は崩せるものではない。また、多くの場合、ひも解いていけば自らが望んで作った関係でもある。この関係をより良いものにしていくのは、至極必然なもの。

であれば・・・

それを諦める事はもってのほか。粘って粘り抜いて、覚悟をもって、その責任を全うするしかない。

sigma1126 at 08:36│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
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