2015年04月20日

■踏み込む事

DSC_0400-2非常に空気が重たい、どんよりとした空模様の月曜日。午後以降は雨となり、強く降るなどという予報となっている。なかなかこの天気の中だと、「さぁ、今週も張り切っていこう!」という気にはさせてくれないが、ここは何とか自燃力でパワーをみなぎらせて1日を乗り切りたい。

今日は、「薫風会」(かおるかい)と呼んでいる、いわゆる役員会を開催する。月に1度開催したいと思いつつ、結果的には不定期実行となってしまっているのだが、ここのところ2週連続で行っている。集まったメンバーは創業時代からの言わば同志。あれから15年の時を越え、それぞれ置かれた環境は変遷してきたものの、大事では集まる。これぞ同志だ。

もちろん、そんな集まりなので、この集団の方向性を決める重大な話し合いが行われるのだが、どんな刺激が待っているか、今日も楽しみだ。


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このところの日記でも触れているように、「向き合う事」の大切さを痛感している。それは、相手が今日のような同志であろうと、少し下の部下であろうと、若者であろうと新人であろうと変わらない。互いの根っこに迫る勇気と、迫られても大丈夫−という信頼感が無いと成り立たない。そして、信頼感は何から醸成されるかと言えば、正しい事を行おうとする姿勢、情熱が、そのふるまいから如何に発散されているか−という事に比例しているように思う。

ずいぶん前の話ではあるが、この薫風会という役員同志でも、激しいバトルを展開したことがあった。バトルになる−という事は、当事者のうち、どちらか一方が、相手の懐に飛び込む発言、言い方は悪いが土足で踏み込んでいく事から始まる。それに呼応するように、もう一方は反撃を開始する。誰しも、侵されたくない一線というのがあって、それを踏み越えた瞬間から、一触即発状態となる。だが、不思議な事に、翌朝は大抵ケロっとした態度に変われる。これが信頼なのだろう。そして、「この集団を良くしたい」という共通の大目標があるからにも他ならない。

さて、役員同志だと、このようなやりとりになるのだが、他の仲間達と向き合った場合も、踏み越えなければならない一線がある。それは、「人生観」の部分。「仕事観」といきたいところだが、これを突き詰めていくと、どうしてもさらに行く付くのは、「人生をどう考えているか」というところ。誰しも、仕事には物理的に多くの時間を割く事になるので、それぞれの人生は仕事抜きには語れない筈だ。そして、本来ならば、その仕事の部分だけに着目して話をすれば良いし、大抵はそうしている。

だが、これからこの会社を背負って立ってもらおうとする仲間に対しては、これだけでは済まない。どうしても、そもそも「お前の人生の中で、仕事に対して、この会社に対して、どの程度のものを賭けようと思ってる。考えてる?」−という部分に踏み込まざるを得ない。そうでないと、その仲間にとっては、過度の期待を我々は持ってしまうし、結果彼の人生も台無しだ。もちろん、皆それぞれが会社とどう付き合っていくかは、自由だし、その自由は一定の成果をあげてもらっている間、担保されなければならない。

皆それぞれなのだが、そういうそれぞれを理解して適材適所に実現し、なおかつそれを集団としての成長に結びつける事。これが言わば自分の自由だ。

sigma1126 at 08:39│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
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