2012年07月22日

■不動心

不動心「不動心」と言えば、松井秀喜選手の著書でもある。メジャーリーグでどこからも声がかからず、開幕を過ぎ、凡そ1ヶ月前後でようやくかかったのが、レイズの3A。努力の甲斐あって、メジャー昇格してから約3ヶ月。華々しいスタートをきったものの、ここまで満足する結果が出ず、今後の行方も話しに出始めた今日このごろ。一体どんな心持でいるのだろうか。

強烈なファンとしては、もちろん大活躍をして、わかりやすく花を咲かせる事を願うばかりだが、そこは「不動心」の松井選手。きっと、我々凡人とはまたレベルの異なる境地にありながら、また明日の打席の準備を行っているに違いない。ちょっとやそっとの結果不足でこの尊敬心もなくならない。

「不動心」、よくよく考えさせられる日々だ。



・・・・・

「不動心」とは、必ずしも読んで字の如しとは思わない。あくまで、結果として、自分の心根にある何かが動かされることはない−という事だ。

なので、日々瞬間瞬間で受ける多種多様な刺激に対し、「不感」になる、或いはそれを心がける事とは全く趣を異にする。それは、ただの不感症ゆえ、その後の成長発展は期待できない事になる。

どんな経験を持とうと、どれだけ年齢を重ねようと、人は上を向いて、前を目指し、成長できる動物だ。そうであるならば、日々受ける刺激を感じる能力は不可欠となる。そして、ある意味その受けたショックをどのように料理するか−が勝負の鍵になる筈だ。

松井選手を初め、「不動心」を醸し出すすごい人達というのは、恐らくその刺激に対する処理能力が人並みはずれ、優れているのだと思う。つまり、一見どんなネガティブな刺激に対しても、それを肯定的に捉え、明日の行動に自らを持っていく仕組みが出来上がっているということ。しかもこれまた人並み外れたスピードをもって。

自分もまた、日々多くの刺激を頂きながら、過ごしている。その刺激の中には、やはりネガティブな種類のものもゼロではなく、結果それが、自分の行動を鈍らせる事がある。「まだまだダメだなぁ」と思う時が、ままあるということだ。

言い換えれば、「不動心」とは、どんな刺激さえも、極めて前向きな自分の改善向上の題材として加工できる能力、及び、明日へのあくなきチャレンジ、行動できる自分の状態を指すのだと思う。是非是非身につけたい能力だ。

そんな事を思いつつ、また新たな1週間へ。ゴジラの逆襲来たれ。

sigma1126 at 22:58│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
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