2012年07月18日

■守るべきもの

守るべき今日は、日中はずっと晴れるが、夕刻から夜にかけては雨の予報。年に1度の税務会計の先生との会食日なので、なるべく天気を持って欲しいのだが...。

このところは、原発反対デモを取り上げるニュースが数多い。聞けば、最近のデモは日本のみならず、米国やヨーロッパに於いても、「お祭りデモ」化しているそうだ。もちろん、昔ながらに真剣に目的をもって参加してらっしゃる方々もいるだろうが、新たなコミュニティとしてイベント感覚で参加する人も多いということだ。

一体何が起こっているのだろうか。



・・・・・

もちろん、インターネットとTwitterやFacebookなどのSNSの力は大きい。震災時にも大変活躍をした、これらツールは、もはや我々にとってのインフラと呼んでいいのかもしれない。だが、それだけが根源にあるとは思えない。

飛躍的だが、みな、自分の存在意義とは何か、「そこに自分が確かにいる」という感覚を得たいのではないだろうか。さらに言えば、自信、自尊心、自己実現を獲得できる場所を一生懸命に探しているようにも見える。

逆に言えば、そのような感覚を得にくい世の中になった−という事でもある。ネガティブな見方をすれば、多くの人々が、日々会社勤めをしながらも、そこにあるのは疲弊のみで、どこに自分が存在している意味があるかわからない。どうしたら良いか正解が見つからず、さまよい歩く・・・。

厄介?かつ素晴らしい事でもあるが、人間は考え、物思い、感動できる動物だ。そして、満足感の多くは自分一人ではなく、人との輪(和)の中で生まれるもの。

1日あたり、通勤を含めると最低10時間はもっていかれる仕事・会社での生活。ここで自分の存在をしかと認める事が出来ないとしたら、それはかなり不幸だとも言えよう。睡眠を除けば、1日あたり残り数時間と休日で、ぽっかり空いた心の隙間を何かで埋めなくてはならない。

毎日毎日、鉄格子に囲まれた、まるで何かの収容所のような場所に、自分に任された事を契約に基づいて淡々とこなし、終われば追い出されるように帰途へつく。そこに「心」が伴わない世界で、もし会社の利益だけがキープされていたとしたなら、非常に悲しい事だ。

昔のように、綺麗ではない、整備もきっちりされてはいないが、多くが生き生きとした姿で働く姿を取り戻したい。

ついつい、今の環境、状況に飲み込まれ、利益追求→会社維持−という方向に、それだけに頭をもっていかれ勝ちになることは自分にもある。ある意味、会社を維持する事も、そこに集う皆の生活を守ることにはなろう。だが、もう1歩成長して、「自分の存在意義を感じられる場」を創り上げたいと思う。強く。

sigma1126 at 08:30│このブログを人気ブログランキングで応援する | Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!
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